艶塾フィロソフィー③「麗」~いと麗しき…~

こんばんは♡

艶塾講師青木人生です♡

 

んー!っと伸びをしたくなる日が続いていますね♡

そんな日には艶塾フィロソフィーを語りたくなる!ということで、今日は第三段!の【麗】についてのお話をしようかな♡

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先日お話した【凛】の時にちょっぴり触れたのですが…。

フィロソフィーを考えるにあたって思い出していた一年があります。

それは高校二年生の一年間です。

私、その一年間で生徒会役員を務めていました。

 

その頃の仲間は今でも仲良し♡♡

思い出話の中にもその頃のエピソードは出てきます♡

 

その一年間の間に学生時代の大きな行事!文化祭がありました。

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これがその年の文化祭のポスターでした。

もーこれを考えるのにどれだけ会議をしたことか。

まぁ個性的なメンバーが揃ったものですから、大変、大変。

 

もう、渾身の一作!という感じでした。

そしてこのポスターに添えられていた言葉が

 

いと麗しき祭りなり

 

この時から、私の中で【麗】の字が特別なものになりました。

私の中では【凛】に込めたオモイと【麗】に込めたオモイは少し別。

 

【凛】がツヨさなら【麗】は穏やかさ。

 

どこまでも続く草原のような果てしない広さのイメージです。

 

アンジェリーナ・ジョリーさん主演のマレフィセントをご覧になりましたか?

あの映画でのマレフィセントの幼少期、どんな妖精や自然とも仲良くなれてしまう可憐さと彼女が成長して「フェアリーゴッドマザー」と呼ばれている時の広く深い愛の象徴のような感じ。

 

私の卒業した中学校、高校には学院聖句というものがありました。

 

それが「隣人を自分のように愛しなさい」(Love Your  Neighbor As Yourself)

 

他の聖句はほとんど忘れてしまっても、これは覚えています(笑)

でも、これって考えれば考える程、実はとっても難しいのかもしれません。

 

だって自分を愛していること、自分の愛し方を知っていることが前提なんだもの。

同じように自分以外の誰かに愛を注ぐってちゃんと出来ている人がどれだけいるんだろうって思うんです。

 

だからいつの間にか愛しているが愛しているつもりやエゴになっていたりする。

 

近すぎて見えない、近すぎて実は一番遠い存在が自分であったりする。

でも、女性っていつか授かった命を愛する人との間に授かる生き物。

だから、愛し方を、愛を学んで伝えていく存在なんですよね。

 

自分のために心から泣くことが出来ないと誰かのために心から泣くことは出来ません。

口先だけの愛じゃなく、静かだけれど、広く深い愛を湧き出す泉を持った女性がたくさん増えたらどんなに素敵だろう…と。

そんなオモイをこの「麗」に込めました。

 

艶塾に関わった方すべてが、いと麗しき人生を過ごすことが出来ますようにの願いも込めて…✨