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2017年3月11日。 東日本大震災から6年に寄せるオモイ。

今日は2017年3月11日。

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私の人生・・・震災とはとても密接な気がしています。
その理由がこの前わかった。それは前世にありました。(この話はまた今度(^_-)-☆)


2011年3月11日。
FBにもシェアしますが・・・私はお休みでした。

2011年は、私の家族にとっても、大きな転機となった年。そう。あの年の3月2日から。。。(この話は他のブログにて)

2011年3月11日。
私は2010年6月から、とある株式会社系列の保育園の年長担任。


私はその日、当時住んでいた、千葉の幕張。ちょうど、QVCマリンフィールドの近くの歩道橋の下にいました。
海浜幕張は当時、液状化で有名になったように・・・今考えれば、あの歩道橋が落ちてこなくて本当によかった。

2017年の3月11日。
当時5歳だった子どもたちは・・・今年12歳。
そう。小学校卒業の年です。


あの日・・・歩道橋の下で思ったこと。ハッキリと覚えています。
 
《子どもたちは大丈夫かな?近くの公園にちゃんと逃げたかな・・・他の先生たちのいうことしっかり聞いているかな・・・そして泣いてる子いないかな。。。そして・・・そして・・・あの子たち・・・小学生になれるのかな・・・・。》

ハッキリと覚えている。
 
秋にやった運動会。笛も使ったけど・・・保育園では珍しい、音楽による組体操。
当日は雨だったから・・・体育館だったけど・・・本当に立派にやり遂げた。

遠足も、今までの卒園生がいったことないような横浜まで、隣の4歳児の子たちの手をつないで行ってきて。。。

生活発表会で、前代未聞の早着替えをしながら、「不思議の国のアリス」のお話をやり遂げ、本当に自信をいっぱいいっぱいつけた子どもたちでした。

私が担任になっちゃったばかりに・・・やってみたことないことばっかりの、半年間だったと思います笑(いいんだか・・・悪いんだかww)

自信をつけていけばいくほど・・・子どもたちは夢を語るようになってきた。
 
みんなバラバラになっちゃうけど・・・小学校違うけど・・・小学生になったらあんなことやりたい、こんなことやりたい。そればっかり話すようになったのは、あの生活発表会の次の日からでした。

だから、卒園式。
史上最高の卒園式をやろうって思ってた。
私があの子たちにしてあげられるのは《企画》ただそれだけ。。。

だから・・・まぁ色々あって、本社の社長室に呼ばれて、当時の社長に朝っぱらから怒鳴られたけどもww
そんなんどーでもよかった。

私がどなられて、この子たちの夢が叶うなら、どなりたいだけ怒鳴れって思ってましたww
むしろそれくらいで子どもたちがやりたいことデキるなら・・・毎日やってくれてかまわないってさえも思いました笑
そんな話はさておいてww
(あ、、、今はその社長いなくなったみたいだから、これからその会社に入る人はご安心を♡♡♡)

あの子たちが・・・あの、私が震災直後に「あの子たち・・・小学生になれるのかな」って思った子どもたちが・・・入学式を迎え、今年卒業の年。


私にとっては、待ちに待っていた・・・2017年の春なんです。

やっと6年?・・・もう6年・・・?
関東大震災から6年。 ここ数カ月それを聞くたびに思い出すのは・・・あのめろん組の子どもたち。

私の中に映るめろん組のお兄さんやお姉さんはまだまだ5歳のままだけど笑
きっと、とっても大きくなったんだろうな・・・


私は被災したわけじゃないから・・・被災者の方々の気持ちを本当にわかることはできません。

阪神淡路大震災も、新潟中越地震も、東日本大震災も、、、被災地に行って被災者の方々の気持ち、オモイ。
そういうのを聴くということだけはしてきました。
そう。私にできるのは聴くことだけだから。。。


だけどね・・・さっきも言ったけど、被災者の方々の気持ちを本当にわかるってデキないの。
それがとってもくやしいっていうか・・・不甲斐ないっていうか。。。

できることをやる。っていう人生じゃないから。私の人生は。
とにかく決めたことをやるっていう人生だから。
欲しいもの全部とってきた人生だから。。。


だけどね・・・被災地の方々の気持ちを知りたいなんておこがましいのわかってるけど・・・
それだけは取れなかった。
 
そして・・・とある岩手のおばあちゃんから言われたこと。
『それはね・・・気持ちだけでいいんだよ。』って。
『被災地の方々の気持ちを知りたいって言ってくれるだけでいいんだよ。誰もこんなオモイしちゃいけないんだよ。』って。

だからそこから、伝える。風化させないっていう目的に変えた。

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2011年3月って・・・もうやめようって思ってました。教員を。
それでも・・・まだやることあるって、教員にも2011年の4月に戻った。
ここで・・・子どもたちに伝える何かを創らないとやめちゃいけないって。

2012年の3月11日・・・土曜日。かなわなかった。
だから・・・この日にやったことで、授業をツクルってきめた。
この日、当時所属していた吹奏楽団のメンバーと私は、お茶の水までフルートをみにいっています。
 
ココで決まった。私は音楽を通して震災を風化させないって。創るって。そういう授業を。

2012年は怒涛のようでした。
前半はさっきとは違う、株式会社立の保育園で過ごし、、、後半は初めての音楽専科。
だけど・・それが運命だったって思う。
その学校の音楽専科が決まった時に、私も決めました。
2つの学校で、この、デキたものをやったら学校の先生としてのシゴトは終わりだって。

2013年1月17日。
阪神淡路大震災から18年経ったこの日からプロジェクトははじまって、1月31日に最初の指導案はデキあがりました。
 
そこから、彼らに渡すもの、ワークシートの準備。
とにかくたくさんの人の手を借りて、デキあがったのが・・・『震災と音楽』っていう60分の授業。


2013年の3月。
音楽専科としての初めての学校で、私は『震災と音楽』っていう授業を、当時の6年生への卒業のプレゼントとして授業をしました。
この年の学校も、教頭先生も校長先生も、特に6年生の3人の担任の先生も協力的な先生方で・・・あの授業が行えたのは、あの学校だったからって思ってる。

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卒業式。
ここの卒業式にも忘れられないストーリーがあるけど・・・それはまた今度。

2014年の3月。
県内の学校へ移動。また音楽専科。
本当に運命だって思った。私が2つの学校でこの授業をやったら、教員生活を終わる時。
決めたからこそ来たこのチャンス。
この学校では、当時の4年生にその授業を行いました。
2つの4年生のクラスでやった時に思った。
もうここで、いつ学校の先生をやめてもいいって。
もう30数年分働く分だけのものはココに残したって思いました。

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だけどこのあと1年半さらに教員するわけだけども(笑)その理由もまたいつか!!

 
 
 
音楽専科としての2年間(2013/2014)は「震災と音楽」という授業をして伝えてきました。
絆とうサブテーマのもと。
絆という漢字のもとのイメージはよくないと知っているけど、敢えて選んだ。この字を。



子どもたちに・・・そして社会に対して私が伝えたいのは・・・
みんなが何気なく生きている今日は、誰かが、、、被災して亡くなってしまった人たちがどうしても生きたいと願っていた1日なんだってこと。

これからも風化させずに伝え続けていくことこそ私にできることなのかもしれないと思っています。



2017年3月11日。
このつながった青空の下で。
当時のめろん組のみんなが元気に過ごしていることを祈って。

そして、東日本大震災で被災した皆様、犠牲になった皆様に、1日も早く心からの笑顔が戻ってくることを祈って。。。


2017年3月11日(土)14:46 艶塾のPより(⋈◍>◡<◍)。✧♡

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